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大阪地方裁判所堺支部 昭和45年(人)1号 判決 1970年7月29日

請求者

西田郁子

代理人

斎藤光世

拘束者

西田章

代理人

福村武雄

被拘束者

西田寛

国選代理人

新垣忠義

主文

一、被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

二、本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実

一1 請求の趣旨

主文同旨の判決

2 請求の趣旨に対する答弁

請求者の本件請求を棄却する。

被拘束者を拘束者に引渡す。

手続費用は請求者の負担とする。

との判決

二1 請求の理由

(一)、請求者と拘束者とは昭和三一年五月一一日見合結婚し、同年九月二六日婚姻届出を了した。被拘束者は右当事者間の次男として昭和四一年五月一〇日出生し、現在満約四才一ヶ月であり、右当事者間には被拘束者のほか昭和三三年一月三〇日生の長男司がある。

(二)、拘束者は、昭和四三年秋頃から酔つて無断外泊することが多くなり、家庭にあつてもいらいらした態度で家族に接する等同人の従来の態度が急変し、又拘束者にはほかに愛人がいることが判明する等のことがあつたためとかく夫婦間の円満を欠くようになつていたところ、拘束者はついに昭和四四年一一月二九日その勤務先(昭和製鋼)に出勤したまま今日に至るまで帰宅せず、以来同人はその母西田ミツエ方に起居している。

(三)、(イ)、請求者は無収入となつたためその頃大阪市内で開設していた託児所を同年一二月初旬閉鎖することとし、その際に同所に対する保証金約三〇万円から宣伝費等を差引いた残額の返還を受けて、これで母子三人の生活を続けてきた。

(ロ)、その後請求者は拘束者を相手方として、大阪家庭裁判所岸和田支部に扶養料の分担を求める調停(同支部昭和四五年(家イ)第一号)を申立てたが、これに対し、拘束者は請求者を相手方として、大阪家庭裁判所に離婚の調停を申立てた。(同家庭裁判所昭和四五年(家イ)第三七号)その結果両事件は岸和田支部に併合され、同支部での第一回調停期日(同年一月二二日)には請求者は出席したが、第二回期日(同月二六日)には欠席した。

(四)、(イ)、請求者は同年一月二八日正午過ぎ頃、所用で大阪へ行くべく被拘束者を連れて国鉄阪和線和泉府中駅前に来たところで、拘束者に出合つた。拘束者が被拘束者を抱き上げ請求者に対し、「お前は帰れ、わしは寛を連れていくから。」と申し向けているところへ突然拘束者の姉(石田千秋)妹(才崎節子、永田妙子)三名が現われた。同女らが請求者に対し、前記調停の件で話があるというのでやむをえず同女らと共に拘束者行きつけの料理屋「庄助」に入つていつた。

(ロ)、「庄助」の奥座敷において同女らと共に調停の件について種々話合つた後に、請求者は拘束者の膝から請求者の膝に移つて来た被拘束者を抱き上げて、帰る旨告げて立ち上がつた。ところが、右妙子が「子供を取つていけ。」と言うや否や、拘束者と千秋が請求者をガラス障子の所に突き飛ばして転倒させ(そのために請求者はガラスの破片で右足蹠を切り加療約五日間を要する傷を負つた。)その隙に節子が被拘束者を奪取し、恐がつて泣き叫ぶ被拘束者を横抱きにしてその場から逃走した。請求者は何とかして被拘束者を取り戻そうとしたが、千秋と妙子に押えつけられていたため後を追うこともできなかつた。

(ハ)、それ以来今日に至るまで拘束者は前記ミツエ方で被拘束者を右同女らと共に監護している。

(五)、拘束者は後記の如く精神異常者であつて被拘束者を監護する能力及び資格を有しない。

拘束者は三叉神経痛等の持病があり、これがため会社を欠勤することも多かつた。又請求者との平穏な家庭生活を営んでいた頃でも、突然請求者が拘束者を毒殺するつもりではないかと言つてみたり、右持病が起ると、「子供を殺してわしも死のうか。」とか「親類の者を殺す。」等無気味な事を口走つたり、或いは手拭いで自分自身の首を締めたりするようなこともあつた。このような精神異常者である拘束者に被拘束者を十分に監護養育しうる能力はない。

2請求の理由に対する答弁

(四)の(イ)の事実は認める。(ロ)の事実の奪取の態様については否認。

なお(ロ)の奪取の態様については左のとおりである。

「庄助」の奥座敷で請求者主張の如く調停の件で話合つていた際、千秋が請求者に対し、「子供二人は章が育てたいと言つているから返して欲しい。」旨申し入れたところ、突然請求者が拘束者の膝の上に居た被拘束者を抱き取り、外へ出て行こうとした。右千秋が「落着いて話合いましよう。」といつて請求者の帰ろうとする出口付近に立塞がつたところ、それを押しのけようともがいた請求者が出口ガラス戸に当り、ガラス戸の破片がとんだ。拘束者は突嗟に被拘束者の身が危いと考え被拘束者を抱きしめ、そのまま節子に渡し、同女と共に外へ出てタクシーでミツエ方に帰り、同女に被拘束者を託して会社へ帰つたが拘束者としては騒ぎの中で夢中で子供を連れ帰つたものである。

(五)の事実は否認。

三1 拘束者の主張

(一)、拘束者は昭和二一年府立堺工高金属工業科を卒業し翌年昭和製鋼株式会社に入社し、現在同社人事課長の職にある。その給料は月八万円余、ボーナスは年間五〇万円前後であり、他に拘束者の持家から家賃収入が月二万円前後はいる。なお、拘束者の父は既に死亡しているが前記母ミツエのほかに三人の姉妹がおり、姉千秋の夫は弁理士、妹節子、妙子の夫もそれぞれサラリーマンであり、右二名の妹の家は拘束者方より歩いて四、五分の近所にある。

(二)、本件事件後、拘束者は実家であるミツエ方で、被拘束者、ミツエと三人で居住している。通常昼間は会社に出勤するが、その間は右ミツエ及び近所に住む妹節子、妙子が被拘束者の面倒を見、同人は右節子らの子供である従兄弟達を遊び友達として朗らかに生活している。拘束者は夕方帰宅して被拘束者と遊んでやつている。被拘束者は拘束者になついている。又、居住地周囲は農村と住宅地の結合した様な田園地帯で右ミツエ方は敷地約一五〇坪の中に三〇坪余りの平家建家屋で庭は広く樹木も多く環境が良好である。

(三)、請求者は左記の如き性格的、養育的欠陥を有する。

(イ)、請求者は、拘束者と結婚する前約八年間に亘り、寺田俊一なる男性と同棲し、その間八、九回も堕胎したという事実があつたにも拘らず、その事実を秘し、拘束者と結婚してからもまるで処女であつたかの如く振舞い、拘束者を欺き続けて来た。

更に虚言癖があり、又拘束者やその親族の悪口を他人に言いふらしたりする。経済的観念に乏しく万事にルーズである。異常性格の持主である。

(ロ)、子供が言うことを聞かないと言つてひどい折監をする。常に父親たる拘束者の悪口を子供らに吹き込んでいる。カッとなると「子供といつしよに死んでしまう。」と口走る。

等の性格的、養育的欠陥を持ち合わせている。

2 請求者の答弁

(三)項の事実は否認

四証拠<省略>

理由

一、争いのない事実

請求の理由中(一)項、(二)項(但し愛人がいるとの点は除く)、(三)項の(ロ)の各事実は拘束者において明らかに争わないから、自白したものとみなす。なお、(四)項の(イ)、(ハ)の事実については当事者間に争いがない。

二、「拘束」の有無について

右争いのない事実によれば、被拘束者は現在四年一ケ月(当時三年八ケ月)であるから同人は意思能力の無い幼児というべきである。従つて拘束者が被拘束者を手許において監護すること自体当然幼児に対する身体の自由を制限する行為を伴うものであるからその当、不当にかかわりなく、それ自体人身保護法及び同規則にいう「拘束」であると解すべきである。

三、本件拘束に至る経緯

(一)、拘束者が別居するに至つた事情

<証拠>により次の事実を認めることができる。

請求者、拘束者は結婚当時拘束者の母西田ミツエと共に同女方で同居していたが、請求者と同女との折合いが悪かつたりしたため、間もなく同女方を出て、右ミツエと別居するようになり、その後、前記の如く長男司、次男寛(被拘束者)が生れ、以来平穏な家庭生活を営んでいたが、拘束者は昭和四一年一一月頃、右ミツエから寺田俊一なる者が、再三、右同女方を訪れ、同人が一三年程以前請求者と約八年間同棲していたこと、又その間右寺田は請求者のために多額の借金をしたこと、その為、請求者に合わせるよう、脅迫的に申し向けたことをきき、同女のそのような過去について思いがけない事実を知つて立腹し、直ちに請求者に問い質したところ同女は「一回強姦されたことがある。」と答えるのみで深くは語ろうとはせず、拘束者も一時は離婚を決意したが、子供の事を考えて一応思い止つたものの右事件を機に夫婦間に円満を欠くに至つていた。その後昭和四四年四月頃から拘束者が、これまで勤務していた昭和製綱株式会社をやめて他の仕事でも始めようということになり、請求者は拘束者と相談の上、拘束者の伯父の保証で八〇万円借金して同年一〇月一九日大阪市内のビルの一室を借り受け託児所を開設した。しかし、その経営も余り思わしくなかつたためその閉鎖を主張する拘束者とこれに反対する請求者との間に口論対立が生じ、更に前記寺田との問題もあつてここに拘束者は、請求者との離婚を決意して同年一一月二九日朝出勤すると言つて家を出たまま帰宅せず、以来前記ミツエ方に寄宿している。

(二)、別居後の請求者らの生活

<証拠>により、次の事実を認めることができる。右拘束者が家を出た翌日ミツエが請求者方を訪れ、もう再び、拘束者は請求者のもとには帰らぬ旨告げた上、請求者ら母子三人の生活費として三万円を手渡していつたため請求者は同年一二月初頃、やむなく右託児所を閉鎖するに至り、その際返還を受けた右ビルの保証金等約三七万円の中から借金等を返済した残額で請求者ら母子三人の生活を続けて来た。その後請求者は翌昭和四五年一月八日拘束者に対し、大阪家庭裁判所岸和田支部に婚姻費用分担の調停を申立てたが、これに対し拘束者も同月一五日頃、大阪家庭裁判所に離婚の調停を申立てた。両事件の調停手続は併合されて進行中である。

(三)、被拘束者奪取の経緯

(イ)、請求者が拘束者と出合い、被拘束者と共に料理屋「庄助」に入つていつた経緯は前記争いのない事実のとおりである。

(ロ)、<証拠>により、次の事実を認めることができる。

同店奥座敷において、拘束者及び姉千秋ら三人が請求者を取り囲むようにして座り、千秋が請求者に対し、「子供は二人共貰つてしまう。」等と言つて迫つたが請求者は「子供は二人共渡せない。調停が済むまで待つて欲しい。」旨を答えた。その場の雰囲気から被拘束者を奪取されることを危惧した請求者は被拘束者を抱き上げ立ち上つて帰りかけようとしたところ、突然拘束者が請求者にとびかかつて来た。

そのもみ合いの際に、請求者はガラス障子に衝突して、ガラスが割れ、その破片の上に転倒して、負傷した。

請求者が一瞬ひるんだ隙に拘束者の妹節子が泣き叫ぶ被拘束者を横抱きにして奪取し、拘束者の母西田ミツエ方に連れ去り、被拘束者はその後同家において拘束者および右ミツエのもとにとめおかれている。<証拠判断省略>

四、ところで三、四才の幼児にとつては、両親のもとで兄弟姉妹とともに監護養育されることが最も好ましい生活であることはいうまでもないが、もし不幸にして両親が別居するなどの事情から、両親のいずれか一方の監護養育をうけねばならぬとすると、一般的には、実母の手もとで監護養育されることが自然であり、かつ幼児にとつて次善の方策といつてよいであろう。従つて父母の別居にともない幼児が現に実母のもとで平穏に監護養育されている場合に、幼児を実力をもつて実母から奪い去ることは、たとえそれが実父によつて実父のもとに引きとるためになされたものであつても、幼児の現にある実母との生活を破壊し、幼児の心身に悪影響を与えることが明らかであり、特別の事情のない限り、幼児としては、かかる生活環境を保護さるべき法律上の利益を有するものというべきである。のみならず、夫婦間においては、妻が母親として幼児の監護養育にあたることは今日の社会の一般的風習であり、同時に母親の役割として夫婦間に暗黙の合意が成立しているものと認むべきであつて、この役割に関する合意は、親権を有する一方の親といえども、相当な理由なくして一方的に破棄することは法律上許されないものと解するのが相当であり、かく解することによつて、夫婦による子の奪い合いを防ぎ、よつて子の生活の平穏を守りうるものといえる。これを本件についてみるに、前記認定のとおり、被拘束者は、両親である請求者と拘束者の別居後も、兄の司とともに、実母である請求者のもとで、一応平穏な生活を続けていたことが認められるから、前記認定のとおり、拘束者が実力を行使して、多人数の力づくで、請求者の手から被拘束者を奪取したことは、被拘束者の有する前記利益を侵すものとして違法というべきである。また請求者と拘束者の別居は、拘束者において離婚の意思をもつて、被拘束者達を請求者の手もとに残したまま家出したことが発端となつているのであるから、拘束者としては、家出後も一応請求者の子に対する監護養育の役割を承認し、請求者のもとに被拘束者の養育費の仕送りをつづけ、離婚およびこれにともなう親権者指定の調停等法律上の手続による問題の解決をまつべきである。しかるに前記調停事件の進行中に拘束者において、前述のとおり被拘束者を奪取したことは、子の監護養育に関する夫婦間の前記暗黙の合意を理由なく一方的に破棄し、子の生活の平穏を害するもので、法律上許されないところである。

もつとも、請求者のもとにおける生活が明白に拘束者のもとにおけるそれよりも幼児によつて不幸であると認められる特別の事情のある場合には、幼児の幸福のため、子に対する現在の拘束を容認する場合もありうるので本件につき右特別事情の有無につき判断する。

<証拠>によれば、拘束者は現在昭和製綱株式会社の人事課長をつとめ、月八万円余の給料と他にボーナス、家賃収入などがあり、本件拘束後、被拘束者の養育には、同居の祖母ミツエがあたり、居住地も田園地帯で、居宅は敷地も広く、環境も良好であることが認められるが、他方右ミツエは現在六八才で、被拘束者の養育にあたるには稍々老令にすぎ、また<証拠>によれば、拘束者は日常必ずしも、子供をかわいがつたり面倒をみたりする方ではないことが認められる。一方<証拠>によれば、請求者は現在無収入であるが、所持金および実弟の援助で生活しており、近く大阪市内の私立清風高等学校に寮母として住込み働らくこととなつていることが認められる。請求者は拘束者に比べ、経済的には必ずしも恵まれてはいないが、請求者と拘束者が離婚すると否とにかかわらず、拘束者は父として法律上被拘束者の養育費を負担する義務のあることは明白であるから、これらの点も考慮すると、請求者において被拘束者を自己の手もとで養育することは経済上十分可能であると考えられる。また<証拠>によれば、被拘束者の兄の司は、被拘束者が連去された当日もその翌日も、請求者とともに被拘束者を求めてたずね歩いたこと、および現在も被拘束者が請求者の手もとに帰来し、兄弟揃つて母のもとで生活することを待ちわびていることが認められる。

なお、拘束者は、請求者に虚言癖があり、親族の悪口をいい、万事にルーズで、経済的観念にも乏しく、子をひどく折檻し、父の悪口を子に吹きこむなど性格的欠陥があり、被拘束者の監護者として不適当である旨主張する。しかし虚言癖の点については、<証拠>によれば、請求者において自己の生育歴、実家の家庭状況などにつき若干虚飾して吹聴したというにすぎず、親族の悪口をいいふらすとの点については、請求者と姑、その近親者との不仲に起因しているものと考えられるし、また<証拠>によれば、多少金銭を費消したことはあるが、それも殆んど子供の必要品を購入したもので、浪費と目するほどのものではなく、証人西田司の証言によれば、子を叩くことはあつたが、躾としてなされたもので、特に常軌を逸したほどのものではないことが認められ、いずれにしても、請求者の性格的欠陥と認むべきものは存在しないから、この点に関する拘束者の主張は採用できない。

以上認定の事実を綜合比較すると、被拘束者が請求者のもとで生活することが、拘束者のもとでの生活に比べて、被拘束者に特に不幸であるとは認められない。しからば拘束者の被拘束者に対する本件拘束を容認しなければならない特別の事情は存在しないというべきである。

五、そうすると、被拘束者に対する本件拘束は違法であつて、それが顕著であるというべきであるから、請求者の本件請求を理由あるものとしてこれを認容し、手続費用につき人身保護法一七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。(前田覚郎 高橋水枝 中田忠男)

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